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| 平田甲太郎家文書<三ヶ村炭焼の取極め「鍛冶炭禁止」 天保13(1842)年 文書№638> | |||||
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| <文書の解説> 1 時代背景 天保といえば、大飢饉。天保4~8年の冷害で全国的な凶作、それを契機に天保12年から行われた「天保の改革」。歴史教科書でよく扱われる事件。この文書の冒頭に「近年、打ち続く違作(不作)」とあるのは、そういった時代背景がある。 入会山の木は、本来、村内各家の燃料源。それをやむなく炭にして換金せざるを得ない状況だった。 2 文書の作成意図 ところが、問題が起きた。「境を紛れ」とあるのは、単に間違ったではなく、こっそり紛れ込んだの意。何のためかというと、禁止の鍛冶炭用原木を伐るため。「且つ又」は、その上でとか、さらにまたの意。だから、こっそり紛れ込んで木を伐り、その木で鍛冶炭を焼いた。 鍛冶炭を焼くのは、前々から、禁止の取り決めだった。それを破った者が出たから、改めて、今後のための取決めを結んだ。併せて、鍛冶炭だけでなく白炭の取決めについても再確認した。 鍛冶炭と白炭の禁止理由は書いてないので、その考察を広報紙に掲載した。 3 「科銭三貫文宛差出可申候」について 普通に読めば、一人三貫文ずつ差し出すという意味になる。しかし、何人も違反者が出るとは考えにくい。今回の違反も、滝原村者内とあり、多分単数だろう。だから、今回は見逃すことにしたのであって、もし多人数だったら、ほかの二村が許さないだろう。 よって、この「宛」は、一人三貫文ずつではなく、三ヶ村に各村三貫文ずつと、読んだ。九貫文なら約1両半、大金になる。これくらいでなければ、防止策にならない。 4 記名押印者について この文書の人物名と、8年前の三村村定に登場する人物名を比べると、各村1~2名の増減があるが、ほぼ各村の本百姓全員で、炭焼きを行う人だけというわけではないだろう。つまり、入会雑木の払い下げを受けたのは個人ではなく、各村ということになる。 <参考> ※以下、黒文字が両文書に登場、緑文字は、片方のみ。 (1) 天保13(1842)年のこの文書に登場する人名 龍原村14名・・・善三郎 与四郎 善四郎 権助 十兵衛 仁左衛門 三之丞 三太郎 又助 久右衛門 市右衛門 太郎七 勘兵衛 庄屋・善太夫 上野山村9名・・・庄三郎 又兵衛 佐平 間兵衛 安兵衛 助右衛門 佐二右衛門 権右衛門 庄屋・九兵衛 小見村17名・・・孫二郎 徳十郎 与兵衛 長右衛門 孫兵衛 長藏 永助 嘉右衛門 甚助 五郎助 佐五兵衛 六助 平左衛門 重兵衛 利忠太 喜次右衛門 庄屋・平太郎 (2) 天保5(1834)年の三村村定に登場する人名 瀧原村16名・・・仁左衛門 与四郎 五郎兵衛 権助 善四郎 善三郎 市右衛門 三之丞 久右衛門 重兵衛 又助 三太郎 勘之丞 太郎七 八右衛門 庄屋・善太夫 上野山村10名・・・又兵衛 九右衛門 間兵衛 庄三郎 安兵衛 助右衛門 佐兵衛 佐次右衛門 権右衛門 庄屋・九兵衛 小見村15名・・・久米次 嘉右衛門 孫次郎 五郎助 長蔵 六助 佐五兵衛 重兵衛 長右衛門 永助 孫兵衛 利忠太 平左衛門 喜次右衛門 庄屋・平太郎 ※ 通常、代々の名を襲名するが、すぐに襲名できない場合やそれまでの名で通す場合もあったようだ。また、何かの都合で連判状に参加できない人もいたのかもしれない。 |
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| 原文 | |||||
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| 釈文 | |||||
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| 読下し | |||||
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| 意訳 | |||||
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